神奈川大学名誉教授 石川正美
1 真理のように「ある」法の探究
末弘厳太郎『物権法(上巻)』(1921年)の刊行は、わが国の民法学の第2期から第3期への転換を象徴する大事件のひとつであるとされている(和仁陽「末弘厳太郎」法学教室178号(1995年)72頁)。
同書の自序は、「法律学には『あるべき法律』を説く部分と『ある法律』を説く部分とがある。このうち後者は現在この日本の社会に行われつつある法律の何物なるかを説くことを目的とする。したがってその『法律』を求めんがためにひとり『法典』と『外国法律書』とのみをもとむるがごときは地上に網うって魚をえんとするにひとしい。魚は水中に棲むものなるがごとく『ある法律』は実生活の中に内在する。……さしあたりわれわれの手近にある材料によってこれを求めんとすれば、それは『判例』と『新聞雑誌』によるのほかない」と述べ、また、「あるべき法律」を説くについては、「『事実』によって『概念』を洗え、そうしてその洗われた活きた新しい『概念』の上に『あるべき法律』を築かねばならぬ」と述べていた。
この自序に関連して、同書が1960年に一粒社から復刊された際、戒能通孝教授は、そ・・・
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