ワイマル共和国と政治的暴力

鳴門教育大学大学院学校教育研究科教授 原田昌博

はじめに

 1933年3月23日、ヒトラー政権下で「授権法」(全権委任法)が成立した。同法は、内閣に立法権を与え、内閣が作る法律が憲法に違反可能と規定しており、近代国家の立憲主義と権力分立から逸脱するものであった。これにより、1919年8月に制定されたワイマル(ヴァイマル)憲法は実質的に無力化され、ワイマル共和国は終焉を迎えることになる。

 「なぜワイマルからナチズムが生まれたのか」。戦後の研究では、この問いかけが常に投げかけられ、民主主義の中でナチズムが台頭した背景が分析されてきた。本稿では、ワイマル共和国の歴史を「政治的暴力」の視点から考えてみたい。

1 ワイマル共和国とは

 ワイマル共和国とは、1918年から33年までのワイマル憲法下のドイツのことである。この憲法は、ドイツ史上初の議会制民主主義、自由・平等権、男女普通選挙権を規定し、史上初めて社会権を明文化した。憲法が可決された日、国民議会議長コンスタンティン・フェーレンバッハは、この憲法が「ドイツ国民を地球上で最も自由な国民となした」と誇っている。

 ワイマル共和国の歴史は、大きく三つの時期に区分さ・・・

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