「カルト」とは何か

弁護士(福岡) 青木歳男

1 カルトとは何か

 本特集はカルト対策についての特集ですが、では、私たちが対策を打つべきカルトとは具体的には何を指すのでしょうか。

 皆さんがカルトと聞いて思い浮かべるのはオウム真理教でしょう。オウム真理教は、ハルマゲドン(世界滅亡の日)がやってくると主張し、地下鉄サリン事件を引き起こした過激なテログループです。傍から見れば、奇異で非常識な集団に見えます。また、報道などでカルトとして紹介される事例の多くは過激な団体であることから、カルトとはエキセントリックで狂信的な集団を指すと考えているかもしれません。実際に、カルトを「特定の宗教や教祖を熱狂的に信じる新奇小の宗教集団」と定義する場合もあります1

 確かに宗教団体の教義が社会一般の倫理に反し、団体が熱狂的に指導者を礼賛する行動はカルトの外形的な特徴をよく捉えています。しかし、カルト対策において、このような「カルト」の定義を用いては、誰にも迷惑を掛けていない個人や集団にカルトとのレッテルを貼り、彼らの行動を理由なく非難し、場合によっては権利を制約することになりかねません。集団の理念や教義が社会一般の倫理に反していたり、指導者(教祖)を礼賛する団体は世の中にたくさんありますが、そのような団体が一律に問題となるわけではありません。またそのような集団は、自己啓発セミナーのように、必ずしも宗教団体に限定されるわけではありません。指導者を熱狂的に信奉する奇異な集団といった外形的な特徴に基づいて、ある集団をカルトと認定し、カルト対策を行うことは避けるべきです。

 では、カルト対策を提唱する私たちは一体何から学生たちを守るべきだと主張しているのか分からないと思われるでしょう。

 私たちは、カルトの害悪から学生を守るためにカルト対策が必要だと主張しています。したがって、教育機関における「カルト」とは、学生や社会に対して大きな害悪をもたらす行為を行う集団を指すことになります。

2 カルトの害悪

 カルトの害悪には以下のようなものがあります。

  • 信教や思想信条の自由を侵害する
  • カルトの価値観から抜け出せなくなり、自律的な意思決定ができなくなる
  • 構成員や一般の人々に対して献金等の名目で経済的収奪を行う
  • 構成員に対して暴力や性的虐待を行う
  • 病気が治るなどと称して生命や身体を害する
  • 集団自殺や犯罪行為に及ぶ
  • カルト集団のために奉仕を強制される
  • 児童の虐待やネグレクト、家族関係の断絶

 このような害悪を整理すると、次のように言うことができます。

 カルトが①構成員の思想信条の自由や信教の自由を侵害し、その結果②構成員の自律的な思考や行動が損なわれることになり、破滅的な損害を被ることになる。

 この観点で、ある宗教団体の信者達が行っているネットでの発信を例にとってみましょう。「◯◯は狂信的ではない」「自由意志に基づいている」「強要する団体ではない」「罪を犯す団体ではない」「脱会も自由」といった主張です。彼らが強調するのは、その団体は「カルトではない」という主張で、団体の活動が誰にも迷惑を掛けていないと発信しています。要は、世の中に存在する当該団体への評価や非難が実態を反映したものではなく、不当だというのです。

 確かに、これらの主張が正しければその団体をカルトと称するのは不当だと言えるでしょう。しかし、ある団体がカルトと呼ばれるにはそれなりの根拠があるのが通常です。例えば、指導者が構成員に対して詐欺や性的暴行に及んだために有罪が確定しているだとか、強引な勧誘や欺罔的な勧誘を繰り広げている、脱会すると不幸になるなどと信じ込ませて脱会が困難になるといった実態がある場合です。そして、このようなカルトの正当化を試みる信者は、教祖の性犯罪を陰謀である、自身の信仰の選択が自己の自由意志や神や運命の導きであると信じ込んで(あるいは、信じ込まされて)います。

 カルト問題の深刻さは、被害を受けた者が被害を受けたと認識できず、寧ろ積極的に信仰や信条を選択したと確信している点にあります。例えば、ある宗教的指導者の犯罪行為について有罪判決が確定したがそれは実は冤罪であったなどということを、その宗教団体と何らの関わりがない段階で告げられたとしても、それを信じる人はほとんどいません。先の宗教団体の正当性を発信している信者も、そんな陰謀論を大真面目に信じるような人物であったはずはありません。普通に常識を持っていた青年が、カルトに関係し、活動に参加することによって、カルトの価値観が浸透し、やがて価値観を受け容れるようになった結果、世間でいう陰謀論を大真面目に信じるようになったのです。

 勿論、信条や信仰を持つということは価値観の変容を伴いますし、信仰とは敢えて一定の規範を信じそれに基づいて行動をすることですから、価値観の変容が生じること自体が問題とされる訳ではありません。しかし、価値観の変容が、自身の選択ではなく、カルトによってもたらされる場合には、それは思想信条や信仰の自由に対する重大かつ不当な侵害となります。人は一度ある価値観を受け入れると、その価値観に基づいて行動し、その価値観から自力で脱することが困難となるからです。オウム信者の多くが教祖の指示に抗えず、犯罪に加担してしまったことはそのことを物語っています。

 カルトと呼ばれる集団は、その集団の構成員とする目的で学生に近寄り2、構成員の生活に細かに干渉し、影響を与え、そして構成員を利用して、勢力を拡大し、様々な利益を得ようとします。カルトに絡み取られると、人は自律的な選択をすることができなくなり、自分の人生をカルトに奪われます。自己決定権が大きく損なわれ、場合によれば完全に失います。

 私たちは、若い学生たちが誰かの言いなりになるような人生を歩むことを止めるために、カルト対策が必要だと考えています。

3 偽装勧誘が問題となる理由

 人は、周囲の環境に大きな影響を受けます。普段の生活や活動の中で、少しずつ関係する者達の意見を取り入れ、価値観を受け容れていきます。特に、その周囲の人物が、自分にとって尊敬すべき人物であったり、とりわけ深い信頼を寄せている人物である場合には強く影響を受けます。

 カルトはこのような人間の心理的な特性を利用してカルトの価値観を受け容れさせ、集団の構成員を増やそうとします3。ただ、他人(学生)をそのような人間関係の中に取り込むことは通常困難ですし、価値観を受け容れさせるために真実を伝える訳にはいきませんので、嘘や強制を用いて接点を持とうとします。強引な勧誘、そして正体を隠した偽装勧誘がこれにあたります。

 先ずカルトによる強引な勧誘ですが、このような行為はもちろん存在し、問題になっています。しかし、目に見える行為ですので教育機関の側が対応をするため、この手法を使うカルトは少数派です。

 他方、偽装勧誘はカルトが学生に対して行う一般的な手法です。留学準備の助言、ボランティア体験、大学受験のキャンパス体験、新入学時の大学案内、就職活動のOB訪問、偽装サークルの先輩・後輩の関係、進路選択の相談など、一方が不安を抱いている状況で親切を装ってその者を助けることにより、人間関係を構築することができ、しかも先輩や友人として信頼を勝ち取ることができるのです。これらの親切な行為は、勧誘した者をカルト集団の構成員とする目的のためになされたものであり、そのためにカルトへの勧誘の意図は隠されます。カルト団体は、勧誘した者がメンバーに共感的になり、価値観を受け容れるように段階的に親しくなり、勉強会を行い、共同生活を行い、勧誘した者がカルトの価値観に染まる時期を待つのです。こうして、当初は指導者の性犯罪が陰謀だなどと考えるはずもなかった学生が、真剣に陰謀だと主張する「人格」が出来上がります。しかも、多くの場合、構成員がその集団を脱したり、思想信条や信仰に反する行動をとると、破滅的な損害(不幸になる、満たされない、地獄の苦しみを味わう)を被ると教え込むため、カルトから離脱することが困難となります。カルトの価値観や集団から離脱することが困難な状況では、カルト集団や指導者からの指示に抗うことは困難となり、その結果様々な損害を被ることになるのです。

 彼の思想信条や信仰の選択が、彼の自発的な選択であれば、それは彼の思想信条や信教の自由です。しかし、意図的に価値観を変えられた場合、ましてや欺罔や強制によって勧誘されて価値観を変えられた場合にはなおさら、彼が信仰を自分の意思で選択したとは言えず、彼の信教の自由や思想信条の自由が侵害されたことになります。彼には、このような思想信条や信仰を持たない自由があったのであり、これが侵害されているからです。

 このような信教の自由や思想信条の自由の侵害を防ぐために、そしてそれによって自身の人生を自身の意思に基づいて歩むことを阻害されないためにも、カルト対策が必要とされるのです。

4 カルトとは人権侵害に及ぶ集団

 人が何を信じ、どのような行動を行おうがそのことで他者から非難をされたり、行動を抑制されたりする理由はありません。思想信条や信仰の自由は日本国憲法が保障するところです。単に熱狂的で新奇な思想信条の集団を排除することはできません。

 私たちが、学生のためにすべきことは、学生が人生の選択の自由を確保することです。学生たちが自分の選択で、思想信条や信仰を選択できる環境を護り、意図的に一定の価値観を植え付けられ、自己決定を損ね、その結果損害を被るようなことがないようにすることです。そして、そのような価値観の植え付けの方法として用いられる偽装勧誘に対抗することが必要となります。

 カルトが問題視されるのは、カルトが人権を蔑ろにするからです。他者の思想信条の自由を侵害し、影響力を利用して構成員や第三者に損害を与えるからです。カルトに対して対策が求められる理由はそこにしかありません。

 カルトとは何かという問いに対しては、外形的な特徴に加え、構成員に対して強い影響力を確立し、それを利用して人権侵害に及ぶ団体と定義することになります。偽装勧誘や強制による勧誘、団体内部での暴力や性的虐待、構成委員に対する経済的な収奪、組織的な詐欺商法などそして刑事事件となるような犯罪行為に及んだ集団、及んでいる集団こそ教育機関が対策を講ずべきカルトとなります。

 このような活動を行う団体は何も宗教団体に限りません。これらの人権侵害は、マルチ商法や過激な環境団体、ニセ医学といった活動を繰り広げる集団に共通する特徴でもあります。フランスの反セクト法(反カルト法)はセクト的団体(カルト的団体)を「法的形態若しくは目的がなんであれ、その活動に参加する人の精神的又は身体的依存を作り出し、維持し、利用することを目的または効果とする活動を行うあらゆる法人」と定義しています4

 例えば、薬を身体に対する害悪だと考える極端な集団にあっては、構成員が例え病気になって重篤な状態になっても薬を摂取することを認めません。これ自体極めて不適切ないし違法な活動ですが、そこに物理的・心理的強制があれば、それは身体生命を直接侵害する行為となります。したがって、カルトと呼ぶにふさわしいでしょう。

 これら問題のある集団が、教育現場において行う活動の最たるものが、正体を隠した勧誘や強引な勧誘です。私たちは、この問題のある行動に対して学生に注意を喚起し、問題のある行動に対しては是正を促していかなければなりません。カルトのメンバーの多くは、その集団に所属させ活動に引き入れることが勧誘をされた者の利益だと真剣に信じています。ですので、大学や高校が第三者としてこの問題行動を是正しなければ、一般の学生が被害に遭うことを防止することはできません。

 私たちは、カルト団体に対抗するのではなく、カルトが行う不適切な行為に対抗しなければなりません。カルトの手口を学び、その手口を伝えながら、学生に注意を促し、カルトの被害に遭うことのないように努めるべきなのです。


  1. 山口広、滝本太郎、紀藤正樹「Q&A宗教トラブル110番」民事法研究会、p.107
  2. 学生に限らず、成人に対しても頻繁に行われている。結婚相談所などを名乗り、息子や娘が結婚できなのは先祖の因縁などと不安をあおり近寄る手口がある。
  3. 西田公明「偽装勧誘におけるマインド・コントロール」本誌本号、p.37
  4. 島岡まな「フランスの反セクト法(反カルト法)とセクト対策」本誌118号、p.128