田中祥晃さんを偲んで

全国クレサラ・生活再建問題被害者連絡協議会事務局長 大阪いちょうの会 司法書士 新川眞一

 私は昭和59年4月に社会人になって、地元岸和田にある法律事務所に事務員として就職をした。当時、嵐のようなサラ金被害が跋扈していた。

 就職して自席を温める暇もなく入所早々に先輩から、「サラ金被害撲滅全国キャラバンカーが和歌山と大阪入りする。和歌山まで出向いてその宣伝カーに合流してくれ」との指令が下り、私は一人で和歌山に向かった。

 そこで出会ったのが和歌山あざみの会の新吉廣さん、そして尼崎あすひらく会の田中祥晃さんたちだった。

 この流れの中で、岸和田にも被害者の会を作ることになり、私の上司であった野仲厚治弁護士(故人)と私が担当相談員となり「竹の子の会」が誕生した。以来、私は、今日まで約40年間、クレジットサラ金ヤミ金の消費者被害問題がライフワークとなり、「竹の子の会」が休会消滅してからは私を司法書士への道へと歩ませた。

 こうして田中祥晃さんの薫陶に支えられて私は今日までその社会人としての人生を歩んでこれてきた。

 ヤミ金、悪徳サラ金と闘う田中祥晃さんの活動スタイルは、つねに必ず直談判(それがヤクザであろうがヤミ金・・・

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