訴訟・救済法成立過程からみたカネミ油症事件の課題

弁護士(東京) 保田行雄

 カネミ油症事件は、1968年、高度経済成長の絶頂期に起こりました。当時PCBは夢の化学物質と言われ、食用油の製造工程でも使われ、PCBが混入した事実を知らぬまま購入して食べた一般消費者が被害者となりました。この人々は、人類が初めて「ダイオキシン類」を経口摂取した食品中毒(公害)事件の被害者となったのです。前例のない「未知」なる被害を受けたカネミ油症事件の被害者が、どの様な司法上及び行政上の対応経過をたどったのかを述べ、カネミ油症事件の課題について考えます。

カネミ油症裁判(旧訴訟)

 事件発生の2年後1970年、被害者はカネミ倉庫株式会社(米ぬか油「カネミライスオイル」の製造販売)、鐘淵化学工業株式会社(現株式会社カネカ、PCBの製造販売)、国(食品衛生行政の責任)を被告として、訴訟を第1陣から5陣まで起こしました。結果、カネミ倉庫についてはすべての訴訟で勝訴(確定)、カネカに連勝、国についても第1陣高裁、第3陣地裁で勝訴しました。ところが、第2陣福岡高裁が国とカネカを免責する判決を言い渡し、訴訟は最高裁での審理に持ち込まれました。しかし、最高裁は、司法の役割を放棄し・・・

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