不滅のクレサラ対協へ

弁護士(大阪) 木村達也

1 貸金業規制法の立法化に成功

 全国サラ金問題対策協議会は、1978年11月25日に大阪で設立された。参加したメンバーは30代・40代前半の元気盛りの弁護士・司法書士達が中心であった(私も35歳の時だった)。違法取立てや任意整理、自己破産手続などについて情報交換や研究会活動を行った。また、日本弁護士連合会が提案した小口金融業法案の立法化に向けたロビー活動を続け、1983年4月28日、貸金業規制法が成立した。クレサラ被害者の会も社会的要請を受けて、次々結成された。

 しかし、この時期、クレジット会社や金融機関のカードローン、キャッシングが隆盛し始め、釧路の今瞭美弁護士は「今こそサラ対協をクレサラ対協と名称変更し、クレジット会社の過剰与信問題にも取り組まねばならない」と強く主張した。

2 クレサラ対協への名称変更と組織的活動

 貸金業規制法成立の2年後、1985年4月6日にサラ対協は、全員一致の決議で「クレサラ対協」と名称変更し、クレジット会社、カード会社のクレジット契約における名義貸問題(当時、集団名義貸事件が多発していた)、カードによるキャッシング、カードローンなどの過剰与・・・

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