令和6年3月12日、当時の県民局長A氏は、知事らの違法行為等を告発する匿名の文書を作成し、県警や議員、報道機関等に配布した。そのことを知った知事は、副知事に対して同文書を作成して配布した者の探索を命じ、副知事は、県民局に赴いてA氏から事情聴取を行い、あまつさえ同人の公用パソコンを引き上げる等して、通報者を特定した。副知事から報告を受けた知事は、A氏の県民局長の職を解いて総務部付とした。A氏は、同年4月4日、今度は、県の通報窓口に顕名の文書で通報したが、県は、同年5月7日、A氏を停職3か月の懲戒処分とした。同年6月、県議会は、いわゆる百条委員会として、知事のパワハラ疑惑等の事実調査のための文書問題調査特別委員会を設置したが、その事情聴取を受ける数日前に、A氏は「死をもって抗議する」との言葉を遺して亡くなった。
公益通報という「ハイリスク・ノーリターン」の行為をきっかけとして、あまりにも痛ましい最悪の事態が起きてしまったのである。
令和7年3月5日に公表された百条委員会の調査報告書では、「告発者探し」や懲戒処分を「公益通報者保護法違反の可能性が高い」と指摘し、告発された疑惑の一部について「一定・・・
この記事は会員に限定されています。ログインしてください。
会員になるには「会員に申し込む」をクリックしてください。