大深さんと一緒に

弁護士(大阪) 三木俊博

訃報を聞く

 入院先でリハビリに励んでいた大深さんが8月26日に亡くなったとの知らせを聞いたのは、翌日の27日でした。コロナ禍の遷延で、長く面会に行けず、ときおり思い出して、暑中/寒中見舞い等の挨拶葉書で済ませていたことが、今となって悔やまれます。

金先物取引被害への取組み

 私の職業人生は、なかでも消費者法実務においては、大深さん(*)と一緒に歩んだ道だったと言えます。その道のりを振り返って、大深さんを偲びたいと思います。

(*)親しみを込めて「大深さん」と呼びます。

 私は、司法修習第27期生で1975(昭和50)年に大阪で弁護士の道を歩み始めました。大深さんは、私より5期先輩で修習22期生。すでに、中坊先輩の率いる森永ミルク中毒事件・被害者弁護団の一員として奮闘していました。昭和50年代前半頃から、金の売買自由化を背景に、金先物取引の被害が増え始め、事業者が詐欺集団であることから被害回復がなかなか困難だったため、その相談が開業弁護士のもとに持ち込まれることが多くなってきました。この問題に、東京の悪徳商法被害者対策員会の堺次夫氏と手を携え、大阪で先頭を切っていたのが大深さん・・・

この記事は会員に限定されています。ログインしてください。
会員になるには「会員に申し込む」をクリックしてください。